ああ今年が終わる
月: 2019年12月
冬の陶房
散歩途中に発見した陶房の冬の展示会。
こういう入口は好き。暖かそうで。
年越し蕎麦
さてさて、なんだかんだで忙しかった今年の師走もおしまい。
朝から家族で深大寺へお詣りして、のんびり蕎麦を食べる。
持ち帰りの蕎麦は、家で温かいつゆを作って皆でふーふー言いながら食べる分。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い
- 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。
唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越すことはあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶 (なお) 住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容 (くつろげ) て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る -
夏目漱石 『草枕』
ただし、はるかな古代、草原は人間だけは棲息しがたかった
-採集すべき木ノ実もないし、けものに近づこうにも、一望の平坦地であるために相手が遁げてしまう。
採集時代の人間はやはり森のある土地がその棲息の適地で、
農耕時代になると、人間たちは森から出て低地に棲み、河の氾濫が繰り返される湿潤の地やオアシスで穀物などを栽培した。
むろん、この段階においても草原は見捨てられた地だった。
「草原に住む」
という暮らしのシステムを考えついた偉大な民族は、スキタイであった-
司馬遼太郎 『天山の麓の緑のなかで』
ソースの気分
あぁ今日はソースの気分、というときはもうロースかつの一択。
キャベツも勿論ソースで。あれこれ味を変えたりせずに、ソースに染まる。
採集時代の記憶
息子が団栗 (どんぐり) を集めてきた。
丸々としたもの、細長いもの、赤っぽいもの、帽子を被っているもの(椎の実?)。
そのいくつかを石で割ってみると、思いのほか綺麗な色の実が出てきた。
食べられないのと問われ、「食べられないこともないけど、今はね」と曖昧に答えて散歩を続けた。
あるいは一欠片くらい食べさせてみても良かったのかもしれない。
ミル
あー、やっぱり自宅でゴリゴリしたいかもしれない。
明かりが消えるとき
用事を済ませて腕時計を見ると、もうそろそろ仕事を切り上げても良い時間だった。
向こうの背の高いオフィスビルの明かりが、ひとつ、またひとつと消えていった。
最後に部屋を出る社員がパチリと明かりを落とし、鍵をかけ、家路につく姿を想像してみた。
早く息子たちの顔が見たいと思った。
言葉は眼の邪魔になるものです
-例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう目を閉じるのです-
小林 秀雄 『美を求める心』