GastronomieStyle

長い眠りにつく前に

ふと思い立って、朝いちばんの電車に飛び乗って成田山新勝寺にお参りに行く。

初めて訪れる門前町は、こんな時代でも多くの人を惹きつけるらしい。

自分もこの一年の感謝と来年への願いを込めて手を合わせる。

なんとなく清らかな気持ちで参道を歩いていると、だんだんお腹が空いてくる。

「天然ものの鰻は冬眠の前に栄養を溜め込むから本当は秋冬がおいしいんだよ」みたいな話をどこかで聞いたことを思い出して、なるほどそうかと頷いてみる。

養殖が主流になった現代でも同じことが言えるのか良くわからないけれど、言われてみれば秋冬に食べる鰻もまたふっくらとしていておいしい(ような気がする)。

冬眠はしないまでも、年末年始にぬくぬくゴロゴロしようと考えている自分がおいしいものを食べて栄養を溜め込んでいる。

人間も、鰻も、たぶん他の生きものも、この時期は大体似たようなものなんじゃないかな。

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喫茶店のホットケーキ

どこかでコーヒーが飲みたい、飲みたい、と考えながら散歩していると、近くにホットケーキとブレンドのセットが評判のお店があることを思い出す。

喫茶店の良いところは、カウンターが広々と取られているお店が多く、ひとりで入っても誰かと話すことを強いられない適度な自由さが感じられるところかなと思う。

お店自慢の珈琲を頂きながら、ときどき、目の前の鉄板で焼かれるホットケーキに目をやる。

バターを乗せて、シロップをかけて、熱々の生地にナイフを入れるところを想像しながら、読みかけた文庫を鞄にしまう。

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真鯛のソテー

少しゆっくりめのお昼を地元のビストロで。

肉料理も勿論好きだけど、のんびりした休日を味わいたい時は魚料理を選ぶことが多い。

皮のカリッとした感じと白身のフワッとした感じが絶妙でナイフを持った手が止まらなくなる。

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胡桃 (くるみ)

心の洗濯のために温泉へ浸かりに行く。

熱い湯で体をほぐして、水をいっぱい飲んで、蕎麦を食べる。

『くるみだれ』の蕎麦があればいいな、と思っていたら、お店のメニューには『十割蕎麦 くるみだれ』の文字が。

日曜日はこうでなくちゃ。

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秋には秋の

どの季節が好きですか?

と問われたら、僕はたぶん「夏かな」と答える気がするけれど、秋には秋の楽しみがある。

栗やサツマイモなどの甘いもの、キノコや秋刀魚。「季節の旨いもの」が沢山並ぶ。

少し冷える日にはお店に入って温かい飲みものを出してもらう。

ホットチョコレートを (心のなかで) フーフー言いながら楽しむ秋の午後。

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急にマグロ丼が食べたくなって

近くに用事があって築地に立ち寄る。

時計を見ると丁度お昼時でお腹がすいている。

何年か前ならこの辺りは沢山の人が行き交う場所であったのに色々なことが(本当に色々なことが)あって、

今では大抵の店にそれ程待たされることなく入れるようになっている。

ときどき無性に魚が食べたくなる時がある。基本的には焼いたり煮たりしたものではなくて刺身がいい。酢飯と一緒だと尚良い。

その衝動をもっとも簡潔に満たしてくれるのがマグロ丼で、いつか食べにいきたいと密かにストックしているお店がいくつかあって、この店もその一つだった。

なにしろ極上の丼を堪能したあとにはパリパリの海苔をお好みで手巻きにして愉しむこともできるのだから。

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海辺のたのしみ

長男が磯遊びに連れてってというので朝から遠出。

ちょうど大潮ということで湘南の海辺のタイドプールには普段見られない生き物がいっぱい。

お腹がペコペコになったところで、お楽しみの焼き蛤。

刺身と熱々のご飯を頂く前に出てきた若布のヌタも最高においしくて、思わずお酒も頼みたくなっちゃう9月の海辺。

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夏の過ごし方②

暑い、暑い、と言いながら食べ歩く。

知らない町を歩くとお腹が空くし、喉も渇く。

長瀞の鉄道駅から川へと続く商店街の店先で声が掛かる。

大ざるに贅沢に氷が盛られていて、その上にキリッとした佇まいの胡瓜とミョウガ。

若い頃に食べた夏祭りのキュウリの一本漬けとはまた違う大人の味。

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夏の過ごし方①

自分を育ててくれたこの国には四季があって、それぞれの季節にどうしても食べたくなるものがある。

鰻が好きになったのは何歳くらいの頃だったか、もう思い出せないけれど、暑くなってくると身体が「食べたい、食べたい」と毎日訴えてくる。

うな重に肝吸い、冷奴をつけて、座敷の扇風機に夏を感じながら今日に感謝する。

そうそう、山椒も忘れちゃいけない。

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時間を買う

息子を習い事に送り届け「また後で」と手を振ったあとは一度家に戻っても良いのだけれど、

1時間にもならない細切れの時間とはいえ、せっかく手に入れた自由時間だからとカフェで一休みすることにする。

飲みものが運ばれてくる間、店内を満たす珈琲の香りを嗅ぎながら、本も読まず、誰とも話さず、ただそこに座っているだけ、という時間は案外なにものにも代え難いものかもしれない、なんてことを考えていた。

考えてみればカフェも、ホテルも、あるいは海辺みたいなところも本来そういう時間を過ごすために存在していて、

おいしいものが食べたい、評判のアレを試してみたい、みたいなことはもっともっと付随的なものなのかもしれない。

でも、ひと息ついて届けられた珈琲とケーキのセットは、やっぱりおいしい。