
- さらに画伯はひろいつづけてポケットがいっぱいになったころ、こんどはもとの地面にもどすべく一つずつ落としはじめた。
「ヨーロッパが減るといけないから」
というのが、理由だった。画伯の実感は私にも伝わった。
十六世紀以来、私どもの文化を刺激しつづけてくれたヨーロッパは、
それが尽きるサグレス岬まできてみると、もう地面がこれっぽっちしかないのかというかぼそい思いがしてくる-
司馬遼太郎 / ポルトガル・人と海
- さらに画伯はひろいつづけてポケットがいっぱいになったころ、こんどはもとの地面にもどすべく一つずつ落としはじめた。
「ヨーロッパが減るといけないから」
というのが、理由だった。画伯の実感は私にも伝わった。
十六世紀以来、私どもの文化を刺激しつづけてくれたヨーロッパは、
それが尽きるサグレス岬まできてみると、もう地面がこれっぽっちしかないのかというかぼそい思いがしてくる-
司馬遼太郎 / ポルトガル・人と海
- 中世という時代規定はあいまいだが、私のイメージでは、西洋・日本をとわず、人間が、しばしば激情に身をまかせた時代といったふうな印象がある。
さらには、中世にあっては、モノやコト、あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、
そこからうまれる物語も、また外界の情景も、多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。
人智が未発達だったということではない。そういう空白のぶんを大小の宗教がうずめていた。-
司馬遼太郎 / ポーツマスにて
そういう空白とか余白みたいなものがどんどん無くなってきた現代の我々は、一体どこへ向かってるんだろう。
-文芸は技術でもない、事務でもない。
より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である-
夏目漱石 / 三四郎
人間社会とは何か、ということをこの頃よく考える。
我々の築き上げてきた文化とは何だろう。文芸とは何だろうということも考える。
煌々とした明かりの下よりも、さりげなく、優しい明るさの方が本の世界に浸れる気がする。
部屋のなかの陰翳が物語や自分の頭のなかの曖昧さに似ているのかもしれない。
古い時代の本を読むことに長いこと没頭して、いつのまにか喉が渇いていることに気付く。
水をひと口ふくみ、ふと目をあげるとそこにはボンヤリとした明かりが点いている。安心して元の世界に戻る。
- 僕も歳をとるのは初めてのことなので、うまくできるかどうか、実を言うと自信はありません。
「幕引き」というのも、自分で決められることではないような気もします。
でもできるところまでは、自分のペースを確実に保ち続けたい、それが僕の考えていることのすべてです。-
村上春樹 / 雑文集
- 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。
また現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、
さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行なっています。
そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。-
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子
- 吾々がもっている生理的の「時」の尺度は、その実は物の変化の「速度」の尺度である。
万象が停止すれば時の経過は無意味である。
「時」が問題になるところにはそこに変化が問題になる四元世界の一つの軸としてのみ時間は存在する。
ところがこの生理的の速度計はきわめて感じの悪いものである。
ある度以下の速度で行われる変化は変化として認める事ができない。
これはまた吾人が箇々の印象を把持する記憶の薄弱なためとも言われよう。-
寺田寅彦 / 春六題
- あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、
他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-
マルクス・アウレーリウス 『自省録』
- これはなんだかバカらしいような、さびしいようなことであるが、
考えて見れば、入学も、就職も、恋愛も、結婚も、世上万般のこと、すべてこれ捜索ではないか。
私のさがし物も、人の世によくあることを、私もまたやっているということにしておこう -
入江 相政 『侍従とパイプ』
- 古代ギリシアは、程度の差はあれ独立した数百もの小さな都市国家によって構成されており、
これらの都市国家は同盟のパターンを万華鏡のように絶えず変化させながらひっきりなしに相争っていた。
「ギリシア」とは文化的かつ言語的な概念であり、国家ではなかったのだ -
ウィリアム・バーンスタイン 『交易の世界史』