
先日食べてアップし忘れていたスープカレー風のお雑煮。
お店の外に提げられたカウンターでフーフー言いながら食べるお餅はまた格別。
もう少し和風の仕上がりにしたものを家で楽しんでみたいななんて思ったりして。
先日食べてアップし忘れていたスープカレー風のお雑煮。
お店の外に提げられたカウンターでフーフー言いながら食べるお餅はまた格別。
もう少し和風の仕上がりにしたものを家で楽しんでみたいななんて思ったりして。
小さい頃は桜と紅葉くらいにしか関心が持てなかったはずなのに。
煮詰まってくると何やら無性に街歩きがしたくなってくる。
でもなぜ街を歩くのかと考えると、自分でも良くわからない。
別に川とか山に行けばいいような気がするし、なんなら近所をランニングするだけだって良いような気もする。
なんてことを考えながらブラブラしていると豆大福、という文字がゆらゆら揺れているのが目に入る (もちろん立ち寄って、買って帰る) 。
道の反対側には旨そうなハムやチーズを置いたデリカテッセンが見える (もちろん買って帰る) 。
お店には、ちゃんと人の気配がある。
別に行きつけの店でも知り合いがやってる店でもない。
だけどそこには最低限の人と人との触れ合いがあって、僕はそういうのものを外の世界に求めているのかもしれない。
コロナ後は何か用事がなければなかなか電車にも乗らなくなってしまった。
そのかわり、すべてが新鮮というか、世の中の景色が違って見えたりもする。
変わらずにずっとあるものもあるのかもしれないけど。
自分にとっての「読書に適した場所」はどこだろうと考えたときに、
一番最初に頭に浮かんだのは「列車の中」だった。
なかでも最も深く本の世界に入り込めたのは寝台列車の中だったような気がする。
学生の頃から旅に出るのは決まって夏から秋にかけてのまだ暖かい季節だったから、暇を見つけては小さめの鞄に最小限の着替えと何冊かの本だけを詰めて列車に飛び乗った。
今まで読んだ小説のうちのいくつかは、その物語性とは関係なく、その時々の旅の記憶みたいなものと結び付いている。
とりわけ、夜の車窓から眺めた街の光と。
いい香りですね、とオトナ達が挨拶を交わす。
子ども達にとってはそんなことはどうでもよくて、
その下に何が隠れているかの答えを探している。
エビス様の御利益については詳しくないけど
思わず拝みたくなる気持ちはわかる。
やっぱりあの「まろやかさ」が人々を惹きつけるんだろうか。
こういう灯の下で食事をするのも良いかもしれない。
この頃、日本の家屋が生み出す陰翳 (いんえい) のことを本当に美しいと感じるようになった。
最後の夏の光と、蝉の声と。
炎天下で団扇を扇いだって、冷んやりとした空気はつくれない。
やっぱり室内に逃げ込んで、冷風のもとで団扇をパタパタ。それからブルーハワイをひと口。