
美術館に何を望んで行くのかと言えば、「なにか新しいこと」だろうか。
いや、どうも違うなと思う。
自分と別にご縁があったわけでもない作家の絵を観ていても時々、むかし自分にもこんなことあったよなって感覚におそわれることがある。
自分のなかの曖昧な記憶とか、もうだいぶ昔に忘れてしまった大事な何かを思い出しに行っているのかもしれないなと思ったり。
美術館に何を望んで行くのかと言えば、「なにか新しいこと」だろうか。
いや、どうも違うなと思う。
自分と別にご縁があったわけでもない作家の絵を観ていても時々、むかし自分にもこんなことあったよなって感覚におそわれることがある。
自分のなかの曖昧な記憶とか、もうだいぶ昔に忘れてしまった大事な何かを思い出しに行っているのかもしれないなと思ったり。
コロナ後は何か用事がなければなかなか電車にも乗らなくなってしまった。
そのかわり、すべてが新鮮というか、世の中の景色が違って見えたりもする。
変わらずにずっとあるものもあるのかもしれないけど。
ちょっと調べものがあり、図書館へ。
途中、クリムトの画集が目に入ったので手に取る。こんな絵も描いていたのだっけ、とパラパラ、パラパラ。
お、ゴーギャンの画集もあるじゃないか、パラパラ。
待て待てあちらにはアンリ・ルソーの画集…。
図書館でのセレンディピティは人生の愉しみのひとつとあらためて感心しつつ、
司書の方々の感染対策の負担を増やさないよう、貸出処理を済ませて足早に去る。
ふらりと入った喫茶店に引き込まれるような絵が掛かっている。題名も作者もわからない。
雪深い土地に住んだことはないけれど、外から眺める家の中の灯りの暖かみは僕にもわかる。
屋根は昔から好きで、
自分の人生を振り返ってみても、窓から屋根を眺められる部屋ばかりを選んできた気がする。
抜けるような青い空、も良いものだけど
あの時代のパリの青もまた素敵だったんだろうな、なんて画集をパラパラしながら。
雑誌やWebを覗けば新しい世界はそこにある。
それは良くわかっているのだけど
「その場に行ってみたい」というこの気持ちはいつまでも変わらないものなんだろうな。
夏は僕たちに自然のなかに身を置く愉しさ (そして厳しさ) を教えてくれるけれど、人が作り上げた世界の快適さも教えてくれる。
時折、ハッと引き込まれるようなウォールアートに出逢えたりもする。
クローバーは割と好きなので
なんとなく目が行ってしまう☘
美術館にも図書館にも行けなくなって久しい。
買い出しに行く途中、道でアートなんかを見掛けてはちょっと立ち止まってみたりして。
息子があの絵を飾りたいと言っている。
まだ自分の部屋も持っていないのに。
そろそろ時機なのかもしれない。