羽生 輝『北の浜辺』
ぼんやりと新聞を読んでいて、北国の海岸沿いの町を描いた絵に目がとまる。
なんとなく懐かしい雰囲気もあるな、なんて思いながら眺めていると、ふと自分が移動してしまうような錯覚に陥った。
もちろん僕は令和の時代の東京を生きているわけだけど、絵というものがときには時代や空間を超えさせる力を持っているんだなとあらためて気付く。
羽生 輝『北の浜辺』
ぼんやりと新聞を読んでいて、北国の海岸沿いの町を描いた絵に目がとまる。
なんとなく懐かしい雰囲気もあるな、なんて思いながら眺めていると、ふと自分が移動してしまうような錯覚に陥った。
もちろん僕は令和の時代の東京を生きているわけだけど、絵というものがときには時代や空間を超えさせる力を持っているんだなとあらためて気付く。
日経新聞に嬉野の地域おこしのことが書いてあって、前に訪れたのはいつだったかなと記憶を辿ってみたが正確には思い出せない。
少なくともその時期にはTea Tourism (お茶ツーリズム) なんて言葉は使われていなかったし、お茶をゆっくり堪能する心の余裕なんかも当時の自分は持ち合わせていなかったのだろう。
おいしいお茶と、それを味わえる空間があって、伝統ある宿には温泉まであるのだから、それだけでももう一度訪れてみる理由はあるなと思った。
土曜の日本経済新聞の記事。
大牟田市動物園の入口に「ぞうはいません」という看板が置かれているらしい。
それでいいと思う。
「ぞうは群れ社会で生きています。
当園には群れを飼える広さがありません」
日経新聞に16世紀の世界地図に関する記事が出ていた。
この手の地図を見掛ける度に「さて日本はどこだろう」とか探してみると大抵は変わった形で描かれていて、その大きさも様々で面白い。
この地図は地理学者メルカトルが作製したものということだけど、一部の特権的な知識階級でさえ当時の世界認識というのはこういう朧げな、多分に想像の要素を含んだものだったのだろう。
ほら世界って概ねこんな感じですよっていうマップも、アナタは今ここにいますっていう位置情報サービスも無い時代に、世界を想像する楽しさってどんなだったんだろう。
かと言って、その時代に大海原に向かって漕ぎ出せる程の冒険心は持ち合わせていないけれど。