
いつの頃からか、自分は帽子が似合わない人間なんだと思いながら生活するようになったので
防災的な意味合いのものを除いて、自発的に帽子というものをかぶってみたことがない。
僕以外の家族は割に帽子が似合うタイプで、
日差しが強い暑い日や耳が凍りつくような寒い日には、その日にかぶる帽子を楽しそうに選んでいる。
暖かそうな色付きの帽子をかぶせてもらったお地蔵さんを見かける度になんとなく羨ましいような気になってしまったりして。
いつの頃からか、自分は帽子が似合わない人間なんだと思いながら生活するようになったので
防災的な意味合いのものを除いて、自発的に帽子というものをかぶってみたことがない。
僕以外の家族は割に帽子が似合うタイプで、
日差しが強い暑い日や耳が凍りつくような寒い日には、その日にかぶる帽子を楽しそうに選んでいる。
暖かそうな色付きの帽子をかぶせてもらったお地蔵さんを見かける度になんとなく羨ましいような気になってしまったりして。
スマートフォンで小説や雑誌が読める時代になっても相変わらず文庫本が手放せない。
ベッドや床にゴロンとしながらでも気軽に読めて、
散歩する時にも片手で持ち歩くことができて、珈琲を待つひとときを至福の時間にしてくれる。
古い街には文庫を置いている喫茶店なんかもあって、書棚を眺めながらどことなく僕のラインナップと似ているな、なんて思ってニヤついてしまったりして。
気持ちよく晴れた日曜の朝には美術館を歩きたい。
小ぶりな美術館の場合、それほど脚が疲れるわけでもないのだけれど
中庭に抜ける扉を見つけると、つい吸い込まれるように外へ出て、木製のチェアに腰をおろす。
考えてみればここは美術館の一部であって我が家ではないし、年に何度も通うわけでもないのに何故こうも落ち着くのだろうと、いつも感心してしまう。
小さい頃は桜と紅葉くらいにしか関心が持てなかったはずなのに。
子どもの目で見ると、冬が近付くこの季節も
まだまだ生きものたちで溢れているらしい。
目に見えるもの、見えないもの、耳で聴こえるもの、聴こえないもの。
そういうあれやこれやで世界はできている。
枯葉をザクザクと踏みながら散歩する。
出店を見つけて、栗と大納言が入ったパンを調達。
この季節に外で食べるパンは、なんだかやけに美味しい。
ゆるゆると散歩してドーナツ食べたりコーヒー飲んだりしてるだけでそれなりに幸せ。
ウィズコロナの世界では瞑想が人気らしい。
僕も時々それっぽいことをやってみるけれど、体質的に合わないのか、リラックスはできても何となく次への活力みたいなものが湧いてこない。
それよりは、考えごとをしながらでも良いからゆっくり散歩して、歩くのに疲れたら芝生やベンチに少しの間ゴロンとして、空を見上げたりする方が自分にはしっくりくる。
帰り道は、気持ち早足で帰ったりして。
心地いい風が吹く朝に
息子がオモチャの飛行機を飛ばすのを眺める。
貸してごらん、と声を掛ける。
遠くへ飛ばすことよりも
なんとなく気持ち良さそうに飛ばすことを心掛ける。
秋の楽しみのひとつは、食事と、散歩。
がっしりめの靴を履いて、サクサクサクと音を立てながら気持ち早足で長い距離を歩く。