
妻にスコーンを焼いてもらったので珈琲を淹れる。
もともとモソモソした感じの食べものは好みだけど
やっぱり温かい飲み物で流し込むのが好き。
妻にスコーンを焼いてもらったので珈琲を淹れる。
もともとモソモソした感じの食べものは好みだけど
やっぱり温かい飲み物で流し込むのが好き。
ふと時計に目をやると、眠るまでにまだ少し時間がある。
デカフェの封を切り、熱湯を注いでコポコポコポとやる。
こういう時間も幸せだったりする。
考えてみれば、自分以外の誰かのために珈琲を淹れたのは初めてのことだった。
熱いコーヒーを飲んでいるときの友人の満足そうな表情を見て、こういうのも中々いいなと思った。
翌日、その友人からドリッパーを買ってみたよという報告があった。じきに彼もコーヒーミルを買うことになるんだろうななんて思いながら、ちょっと嬉しい気分に浸った。
- 始めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくい「おくすり」であったらしい。それを飲みやすくするために医者はこれに少量の珈琲を配剤することを忘れなかった。
粉にした珈琲を晒木綿 (さらしもめん) の小嚢にほんのひと抓みちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して、漢方の風邪薬のように振出し絞り出すのである。
とにかくこの生れて始めて味わったコーヒーの香味はすっかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまった。
すべてのエキゾティックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡ってきた一脈の薫風のように感ぜられた-
寺田寅彦 『珈琲哲学序説』
少し早く起きて、ふわりとしたやさしい風と光を浴びながら散歩する。
1年のなかで一番好きな5月なのにと思わないではないけれど、
いつかまた、のんびり散歩しながら珈琲を飲める日が来ますようにと願いながら家に帰る。
コーヒーの昔ながらの精製方法、よりも
彩り豊かな衣装、のほうに目が行く。
コーヒーに酸味は要らないと長い間考えていたのだけれど、そう決めつける必要もないなと思うようになった。
歳を重ねるごとに味覚は変わるし、嗅覚も変わるものかもしれない。
この頃、華やかな香りにウットリすることが増えてきたような気もしている。
あー、やっぱり自宅でゴリゴリしたいかもしれない。
豆を挽いてもらっている間に”ゲイシャ (エチオピア) ” を頂いた。
カップを手に取った瞬間から良い香りが運ばれてきた。
最近はこういう柑橘っぽい爽やかなコーヒーも良いなと思うようになった。
パナマのゲイシャ (エスメラルダ農園) はこれ以上だというんだから、また楽しみができた。