Lectio

中世という時代

- 中世という時代規定はあいまいだが、私のイメージでは、西洋・日本をとわず、人間が、しばしば激情に身をまかせた時代といったふうな印象がある。

さらには、中世にあっては、モノやコト、あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、

そこからうまれる物語も、また外界の情景も、多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。

人智が未発達だったということではない。そういう空白のぶんを大小の宗教がうずめていた。-

司馬遼太郎 / ポーツマスにて

そういう空白とか余白みたいなものがどんどん無くなってきた現代の我々は、一体どこへ向かってるんだろう。

GastronomieStyle

海辺のたのしみ

長男が磯遊びに連れてってというので朝から遠出。

ちょうど大潮ということで湘南の海辺のタイドプールには普段見られない生き物がいっぱい。

お腹がペコペコになったところで、お楽しみの焼き蛤。

刺身と熱々のご飯を頂く前に出てきた若布のヌタも最高においしくて、思わずお酒も頼みたくなっちゃう9月の海辺。

Gastronomie

夏の過ごし方②

暑い、暑い、と言いながら食べ歩く。

知らない町を歩くとお腹が空くし、喉も渇く。

長瀞の鉄道駅から川へと続く商店街の店先で声が掛かる。

大ざるに贅沢に氷が盛られていて、その上にキリッとした佇まいの胡瓜とミョウガ。

若い頃に食べた夏祭りのキュウリの一本漬けとはまた違う大人の味。

Gastronomie

夏の過ごし方①

自分を育ててくれたこの国には四季があって、それぞれの季節にどうしても食べたくなるものがある。

鰻が好きになったのは何歳くらいの頃だったか、もう思い出せないけれど、暑くなってくると身体が「食べたい、食べたい」と毎日訴えてくる。

うな重に肝吸い、冷奴をつけて、座敷の扇風機に夏を感じながら今日に感謝する。

そうそう、山椒も忘れちゃいけない。

IdeaLiving

サードプレイス

自分の学生時代、家と学校以外のどこかに自分の居場所はあったかな。

近所の空き地、友人宅、サッカーグラウンド、地元の図書館、近所のおじさんの家。一時期のゲームセンターもそうかもしれない。

当時はそんなこと考えもしなかったけれど、ある程度の安全が確保された居場所のようなものはあったような気はする。

今の世の中、気軽に入れるカフェのような場所が増えたことは良いことなのだけど、何かが足りないような。

公共の場に、もう少し居心地の良い ” 隙間 ” のようなものがあればいいのに、とも思う。

それにしてもマスカットのジュースっておいしい。

Idea

何かを選ぶことについて。

割と少量で酔える自分にとって日本酒の『飲み比べセット』はありがたい。

よく行く珈琲豆のお店にも飲み比べセットがあるを最近知って、とても良いアイデアだなと感心する。

自分の子どもたちには何かを選ぶときに素早く決断することを求めたりするのだけど

サブスクリプションが主流になってきた今の世の中で「決断」を迫られる機会というのは殆ど無くなってきたなというのを感じている。

何かを選ぶという行為は「自分はこういうものが好きだ」という背骨みたいなものがあったうえでその時の状況を加味した判断を下すということなのではないかと思う。

興味のあるもの気になるものはとりあえず全て (ちょっとずつ) 試してみる、という行為の集積は僕たちをどこへ向かわせるのか、そのことにも少し関心がある。

Gastronomie

時間を買う

息子を習い事に送り届け「また後で」と手を振ったあとは一度家に戻っても良いのだけれど、

1時間にもならない細切れの時間とはいえ、せっかく手に入れた自由時間だからとカフェで一休みすることにする。

飲みものが運ばれてくる間、店内を満たす珈琲の香りを嗅ぎながら、本も読まず、誰とも話さず、ただそこに座っているだけ、という時間は案外なにものにも代え難いものかもしれない、なんてことを考えていた。

考えてみればカフェも、ホテルも、あるいは海辺みたいなところも本来そういう時間を過ごすために存在していて、

おいしいものが食べたい、評判のアレを試してみたい、みたいなことはもっともっと付随的なものなのかもしれない。

でも、ひと息ついて届けられた珈琲とケーキのセットは、やっぱりおいしい。

IdeaStyle

ソフトクリーム

世の中に存在するあらゆる看板や広告の類で最も破壊力があるのはソフトクリームの形をした模型ではないかと思う🍦

今日みたいに良く晴れた青空のもとではコーンの上に乗った純白のアイスが良く映えるし、「ソフトクリーム食べたい!」という子供の呼びかけにも断りきれない自分がいる。

お昼ごはんの前にこんなの食べさせていいのかな、なんてことを考えながら、ひと口もらって食べるとやっぱりおいしい。

ちなみに、2番目に好きなのは床屋のサインポールなんだけど💈。

Lectio

薄明かり

煌々とした明かりの下よりも、さりげなく、優しい明るさの方が本の世界に浸れる気がする。

部屋のなかの陰翳が物語や自分の頭のなかの曖昧さに似ているのかもしれない。

古い時代の本を読むことに長いこと没頭して、いつのまにか喉が渇いていることに気付く。

水をひと口ふくみ、ふと目をあげるとそこにはボンヤリとした明かりが点いている。安心して元の世界に戻る。