
ひさしぶりに好物の讃岐うどんを堪能。
うどん食べるときの『ちくわ天』って何故こんなに美味しいんだろう。
ひさしぶりに好物の讃岐うどんを堪能。
うどん食べるときの『ちくわ天』って何故こんなに美味しいんだろう。
ちひろ美術館 世界の絵本画家たち / アーノルド・ローベル
こども時代にカエルが特段好きだったわけでもないけど、
がまくんとかえるくん はやっぱり良いなぁ。
ちひろ美術館 世界の絵本画家たち / いわさきちひろ
水彩っていいなぁ、と思わずウットリしたりして。
と、秀吉はほめた。
「たとえばである。ここに故右大臣様 (信長) と蒲生殿が合戦するとする。その人数は右大臣様が五千、蒲生殿が一万、おのおのはいずれへ味方せられる」
「どうだ」
といったが、家康でさえくびをひねった。まして宇喜多秀家、毛利輝元程度の凡庸の男には解けそうにない。秀吉はみずから解答を出し、
「わしは故右大臣様に味方する」
といった。信長方は多勢に無勢で敗戦するであろう。「しかし」と秀吉はいう。
「なぜなら、蒲生方から兜首五つ討ち取ったとすると、かならずそのなかに氏郷殿の首が入っている」
「ところが織田方は五千のうち四千九百人まで討ち取られたとしても、故右大臣様はなお生き残った百人の中に入っているだろう。故右大臣様は生きてあるかぎり、かならず再起をはかる。ついには勝つ」
司馬遼太郎 『新史 太閤記』
- 飯と共に、豆腐を煎りぬいた「ふりかけ」が出される。
このふりかけで、飯を四杯も食べた男がいるそうな。
天ぷらを、飯を、「うまい、うまい」と食べれば食べるほどに、
あるじの顔が笑みくずれてゆく。-
池波正太郎 『室町・はやし』
- 安らかで静かな心は、自分の人生のすべての部分を訪ね歩くことができる。
これに対して、多忙な人間の心は、まるでくびきをかけられたかのように、振り返って背後を見ることができない。
そうして、彼らの人生は、深い闇の中に消えていくのである。-
セネカ 『人生の短さについて』
- 私はほほえみながら弓をあちこちに動かし、
私の血のにじむ命をかなでる。
そしてだれも現さなかったものを現わす-
だが、いくらひいても、私はもう楽しくなれない。-
ヘルマン・ヘッセ 『ヴァイオリンひき』
体調が下り坂なので妻に「鍋焼きうどん」をつくってもらった。
ドラクエで言うと、僕にとってはベホイミに近いかなと思っている。
ホイミは散歩と珈琲とチョコレート。
ベホマは…やっぱり旅行だろうか?
回復魔法なんて使う必要のないくらいの方が幸せと感じる人もいるかもしれないけれど、
日常のちょっとしたところにホイミやベホイミ沢山ある人生の方がなんだか楽しいような気はしている。
瀬尾幸子さんのおつまみ横丁のページをめくりながら、自宅の居酒屋化を夢見る。
「煎りぎんなん」って響きからして好き。
オトナになると、塩で頂くものの旨さが良くわかる。