
縁側はやっぱり必要。
「ちょっと座ったり寝転んだりできるところ」に自然と人は集まる。
縁側はやっぱり必要。
「ちょっと座ったり寝転んだりできるところ」に自然と人は集まる。
杉玉を見掛けると、遠目からでも
ホォッてなる。
理由はわからないけれど、ときおりスパイスやら何やらを大量に摂取したい欲望にかられる時がある。
雑誌のカレー特集は夜に読んではいけない。
やり残したことは沢山ある。
海で遊んでないし、それどころかプールだって行ってない。
もちろんスイカ割りだってやってない。
「そういえば●歳の夏はこんなことやったっけ」って思い出が、子ども達のなかに少しでも残ってくれればいいのだけど。
なんて、蒸したてのトウモロコシ (頂きもの) を囓りながら。
僕と長男からの妻へのサプライズプレゼント。
- その情というもののなかには、ちょっといつも悲しみというのがあるんじゃないか。寂しさとか。
日本語で悲しみというと、なんかお涙頂戴みたいになるけど、そうじゃなくて、日本人だけじゃなくて人間が持っている本性、要するに、芸術が人間の生きていることに交わるとき、どこかにある寂しさとか悲しさ。
なぜかというと、人間には必ず死ぬという運命がある。生まれた瞬間にだれかと別れなきゃいけないとか、会えば必ず別れというものがあるとか、そういう寂しさもあるし悲しさもある。
人間の情というもののなかに必ず悲しみがあるとすると、音楽は、理屈なしに、それを出すのに一番手っ取り早いものを持ってたんじゃないか。
音楽の響きのなかにそれがあるんじゃないか -
小澤征爾*大江健三郎 / 芸術が人間を支える
「ビール党ですか」と言われると正直そんなこともないんだけど、ビールを気持ちよく飲める人間にはなりたいと思う。
こういう絵、好き。
うどんは茹でて水でサッとしめたのも好きだけど
やっぱり焼いたヤツも好きだ。
かつお節 (あと青海苔も) は必須で。
- 小説の場合は、たとえば古典が毎日読まれて、ということはない。
芝居でも、シェークスピアこそしばしばやられるけれども、つねに古典の芝居が現代の戯曲を圧しているわけじゃない。
ところが、音楽だけは古典となった作品がどうして毎日のように演奏されて現代人に感動を与えるのか、ということを訊かれたんですね。そのジャーナリストは答えなかった -
小澤征爾*大江健三郎 / 芸術が人間を支える