
- 自然のなかに、あるいは自然を模した人工である庭のなかに、こうした抽象的な構成が入り込んでくると、
私たちの眼は、奇妙な反転と眩暈のような心地良い感覚を、覚えずにはいられないのではなかろうか。
私たちはたえず物質を人生によって濾過して見ながら、その見えない隙間に抽象を感じ取っているだけなのだ-
新見 隆 / 庭の幻想 -立原正秋の東福寺
僕たちは物質そのものを得ると同時に何か (抽象) を感じ取っている。
人生がひとつの濾過装置だとしたら、旅こそが最も多くのものを得る機会になるのかもしれない。