
- 友だちが「かささぎだ。」と言って、廊下で見ていた時、私は座敷のなかに坐ったまま、
「六七羽から-そうだな、十羽ほども、よく庭へ来ているんだ。」と言ったが、立って行って友だちといっしょに見ようとはしなかった。
もう見なれて、目になじみの鳥だからだ。廊下へ出て鳥を見るよりも、その鳥の名を私は思っていた。
「かささぎ」という名を聞くと、その鳥がたちまち私の情感にしみこんで来たからだ。
「かささぎ」という名を知った今と、知らなかった前とでは、その鳥は私にはもはや同じ鳥ではなくなった-
川端康成 『かささぎ』
僕はまだこの世の中のどの鳥が「かささぎ」なのか知らないでいる。
これから「かささぎの渡せる橋」のことを思い浮かべるたびに、この川端康成の『かささぎ』を思い出すことになるかもしれないな なんて思ったり。