
モチモチした赤ん坊を抱えた状態で何か作業をすることが増えたので、あらためて体幹鍛え直したりしている。
それにしても最近の子ども服やらベビー服やらは質感といい、柄といい、なかなか良い。
自分でもこういうフワッとした絵がサラサラと書けたらいいのにな、なんて思ったり。
モチモチした赤ん坊を抱えた状態で何か作業をすることが増えたので、あらためて体幹鍛え直したりしている。
それにしても最近の子ども服やらベビー服やらは質感といい、柄といい、なかなか良い。
自分でもこういうフワッとした絵がサラサラと書けたらいいのにな、なんて思ったり。
- 雲となりまた雨となる
昼の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
楽みのかず夜は尽きじ -
島崎藤村 『君と遊ばむ』
休みの日に「何が食べたい?」と聞かれたら殆どの場合、「ミートソース」と答えてしまう。
息子たちも恐らくはそういう風に育つんだろうななんて思ったりして。
- 名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
来りて美 (うま) き酒に泣け -
島崎藤村 『酔歌』
僕にはボトルをコレクションしたりする趣味はないけれど、やっぱりいいなあと思う瞬間もある。
- 何かに打ち当たるまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずることが出来るのでしょう -
夏目漱石 『私の個人主義』
過去のイベントらしいけど、ナイトミュージアムとコンサートというのは最高の組み合わせなので、コレに参加できた人が羨ましい。
- 名前をつけるという行為は愛情と関心と敬意のあらわれであり、
また名前と実体とは切り離すことのむずかしい関係にあって、それが言語の本質のひとつをなしているのは確かですが、
目前の一輪の花の精妙な美しさに驚きと畏敬を感ずるとき、
それに名前をつけるという行為が、どこか自然に対する冒瀆 (ぼうとく) とも思えることが私にはあります -
谷川俊太郎 『ことばめぐり』
- 街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思い出す。
一面に陳列された商品がさき盛った野の花のように見え、天井に回るファンの羽ばたきとうなりが蜜蜂を思わせ、行交う人々が鹿のように鳥のようにまたニンフのように思われてくるのである。
あらゆる人間的なるものが、暑さのために蒸発してしまって、夢のようなおとぎ話の世界が残っているという気がするのである -
寺田寅彦 『デパートの夏の午後』
-こういったお歴々の若いときは、筋肉力と生殖力とにいっさいの尻拭いをさせることになる。
けれども後になると、残っているのは精神的能力だけである。こうなった場合に精神的能力に不足があったり、あるいはその発達が足りなくてその活動に必要な材料の蓄積が乏しかったりすれば、嘆きは大きい。
もはや意思だけが汲めども尽きぬ唯一の力となるから、今度は意思が情熱の興奮によって、たとえば例の不名誉極まる罪悪たる大がかりな運勝負によって、かき立てられる-
ショーペンハウアー 『人のあり方について』