
下の子は所謂「ずり這い」ができるようになったらしく、嬉しそうな顔でころころずりずりと部屋中をいったりきたりしている。
なんとも柔らかで、しなやかで、愛らしい生きものだなと思う。
上の子はそれをみて真似をしているが、下の子のそれとは違う。彼だって少し前までは似たような柔らかさを持った赤ん坊だったのになと不思議に思う。
僕たちは色々なことを覚えては、忘れていく
下の子は所謂「ずり這い」ができるようになったらしく、嬉しそうな顔でころころずりずりと部屋中をいったりきたりしている。
なんとも柔らかで、しなやかで、愛らしい生きものだなと思う。
上の子はそれをみて真似をしているが、下の子のそれとは違う。彼だって少し前までは似たような柔らかさを持った赤ん坊だったのになと不思議に思う。
僕たちは色々なことを覚えては、忘れていく
- 三社祭、草市、四万六千日、針供養、羽子板市、そして酉の市……と、浅草の伝統行事は、いま尚、絶えていないし、
この行事をおこなうことによって、浅草は浅草としての〔存在〕をまもりぬいている。
そして、現代の若者たちも、異国の人びとも、これをよろこび、たのしみ、浅草へあつまって来るのだ。
その季節季節によって、時刻をえらび、酒をのむ場所と散歩の段取りをうまくつけて浅草へ出かけると、私などは、つくづく気がやすまるおもいがする-
池波正太郎 『浅草の店々』
元々は完全なるベイクドチーズ派だったはずなのに、ここ1〜2年でレアチーズもいいなと思うようになっている。
ツルンとした食感のものより、こういう少しモソッとした感じが残るものの方が好み。
-雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。
いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
今日は、空襲が無いようです-
太宰治 『春』
「うーん。じゃあテイクアウトメニューもやりましょうよ」
っていう提案や意思決定をすることは提供側のメンバー構成や体力によっては多分本当はとても大変なことで、だからこそ我々消費者は嬉しいし、愉しい。
温め直しできるように耐熱の容器にしてみたり、メニュー変更のために仕入れルート変えてみたり、色々やってるんだろうなとか思ったりして。
- 自分は時々頭をねじ向けて洗面台の上に眼をやって、花も葉も日々に色の褪せていく哀れな鉢を見ないではいられなかった。
(中略)
三週間あまり入院している間に自分の周囲にも内部にもいろいろの出来事が起った。
いろいろの書物を読んでいろいろの事も考えた。いろいろの人が来ていろいろの光や影を自分の心の奥に投げ入れた。
しかしそれについては別に何事も書き残しておくまいと思う。
今こうしてただ病室を賑わしてくれた花の事だけを書いてみると入院中の自分の生活のあらゆるものがこれで尽されたような気がする。
人が見たらなんでもないこの貧しい記録も自分にとってはあらゆる忘れがたい貴重な経験の総目次になるように思われる-
寺田寅彦 『病室の花』
” Bemitleide dich nie selbst. Selbstmitleid ist etwas für Versager. “
『ノルウェイの森』は好き過ぎて、外国で出版されたバージョンも時々読み返す。
ドイツ版はビリヤードのシーンが表紙になっているあたり「さすが、よくわかってるな」とか思いながら、独りでニヤニヤしている。
僕はトマトの入ったサンドイッチが好きで、朝食のためにパン屋へ行くときにはほとんどの場合これを選ぶ (たまにカレーパンも加わる)。
きっかけは小学生の頃、後に仲良しになる転校生の弁当がサンドイッチで、(もちろん母には内緒で) 交換してもらったそのサンドイッチがとんでもなく美味しかったからだ。
中には厚めにスライスしたトマトとちょっぴりのキュウリ、それからたっぷりのバター。
時間が経ってしっとりしたパン生地からトマトが溢れてこないように上を向いて食べたのを今でも覚えている。
あの時を超える悦びを味わいたくて、おいしいサンドイッチ (できればトマトがたっぷり入ったやつ)をいつも探している。
そう、「遊ぶ」っていうのは何もスポーツとかゲームとか、そういうものだけじゃないんだよなとあらためて思う。
もちろん熱々のモツが最高なのは間違いないけど、
テイクアウトだってちゃんと美味しい。