Lectio

この建築は、単に柱のエンタシスのみならず、その全体の構造や気分において、西方の影響を語っている

-シナ人がこういう柱のふくらみを案出し得なかったかどうかは断言のできることでないが、

しかしこれが漢式の感じを現しているのでないことは確かなように思う。

仏教と共にギリシア建築の様式が伝来したとすれば、それが最も容易な柱にのみ応用せられたというのも理解しやすいことで、

これをギリシア美術東漸の一証と見なす人の考えには十分同感ができる。

もしシナに漢代から唐代へかけてのさまざまの建築が残っていたならば、仏教渡来によって西方の様式がいかなる影響を与えたかを明白にたどることができたであろう。

しかるにその証拠となる建築は、ただ日本に残存するのみなのである-

和辻哲郎 / 古寺巡礼 『エンタシス ギリシアの影響』

Lectio

大切な模様のところだけ黒い虫食い穴があいてしまったなつかしい布地のように

-戦争を境に、私は子供のときに大切にしていた本のほとんどぜんぶを失くしてしまった。とはいっても、家が戦災にあったわけではない。

すべてがせっぱつまったなかで、十五歳から十六歳にかけての一年間、東京の家から関西の家へ、そのつぎは家族と別れてひとり東京の学校の寄宿舎へと移りあるいているうちに、

ここで一冊、あそこで二冊と、無くしたり、そんなものは置いていらっしゃい、と言われたりしながら、

セミが殻を脱ぐように子供時代を脱いでしまって、

大切にしていたさして多くない宝物を、惜しいとも思わないであちこちに散らせてしまった-

須賀敦子 『葦の中の声』

思い返してみれば、こどもの頃から物心両面で本当にいろんなものを捨てたり、置いてきたりしてしまったなとも思うし、一方で根本的なところは何ひとつ変わってないような気もする。

Lectio

ものを考える時は鉛筆を手に持っていたほうがいいので

-それはもう私だけの個人的な話ではなくなり、私はこれを、そこに書いてあることの多くを私と分け合い、

またそれを暗示してくれた人たちにお返しすることにした。

それで私はここに、私と同じ線に沿ってものを考えている人たちに対する感謝と友情を添えて、

海から受取ったりものを海に返す-

アン・モロウ・リンドバーグ 『海からの贈物』