Lectio

扨 (さて) 試みに毛筆を使った場合を想像して見給え。

-元来万年筆は墨を磨ったり含ませたりする手間がないだけ、毛筆よりはずっと速く書ける訳だが、不幸にして私には、此の万年筆の持つ長所が全く何の役にも立たない。

なぜかと云うと、私は非常に遅筆であって、一行書いては前の方を読み返したり、立ち上って室内を歩き廻ったり、茶を飲んだり一服吸ったりして、徐ろに考えながら後をつづける。

だから墨を磨るとか含ませるとか云う手数は、全然問題でない。

却て何かそう云う仕事があった方が、空想の時間を遣るのに都合がよい。

谷崎潤一郎 『文房具漫談』

偉大な作家に対してこう書くのは失礼にあたるかもしれないけれど、一行書いてはあっちに行ったりこっちに行ったりする姿を想像して、かわいらしいというか、親しみみたいな感情を抱いてしまった。

そういえば、毛筆で文字を書くことよりも硯 (すずり) で墨をシャリシャリする時間が好きだったっけな、なんて昔のことを思い出した。