
-その晩、田中翁が家へかえったあと宿で、
翁の元気な間にいろいろ記憶しているところを書きとめておいてもらおうではないかと言うことになって、その翌朝別れるときに
「田中さん、あんたとても元気だから、一つ、今まで見た事きいた事、自分のやって来たあたらしい事を含めて、思いつくままに書いてみませんか。
もし応援がいるような時には私が手伝いに来ます。森脇さんや牛尾さんもおる。
どんなにくだらぬと思うようなことでも、あんたの心にふれたものは書きとめてみて下さい」とたのんだ。
すると翁は目をほそめて、「年よりちうもんは使い道のないもんだと思っとりましたが、案外役に立つこともあるんですな」と笑った-
宮本 常一 「忘れられた日本人」
文字に残っても、残らなくても、その人が生きたことの価値みたいなものは変わらないけれど
何かの形で後世に残れば、僕たちは、文字を通してその人々にいっとき、触れることができる。
フォークロアみたいなものだって「文字」というものがこの世に生まれなければその多くは失われてしまっていたんだろうな、なんて思ったりした。