
-時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。
あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-
マルクス・アウレーリウス 『自省録』
-時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。
あるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう-
マルクス・アウレーリウス 『自省録』
もちろん浮気癖があるのは自覚しているけれど、本命は、と問われれば苺のショートケーキしかない。
でも、「どのお店の苺のショートケーキ?」
と問われても決められない。。
もちろんプロとしてその世界で生きていくことの厳しさは想像できるけれど、
「色を調合する」ってなんだか素敵な仕事だなと思う。
半農、という考え方はいいかもしれない。
こども達のために近所にパンの買い出しに行くだけでも中々の冒険。
いつかこの日を思い出すこともあるだろうか。
雪を被った花弁にちょっと触れてみたくなったけれど、そっとしておく
-最後の日々の母が特に好んだのはみたらし団子だった。
私はいつも私の家と実家の間にある青山の紀ノ国屋か近所のおいしい和菓子屋さんかでそれを買った。
どちらの味も母のお気に入りになった。
何回目かに買っているとき、ふと「ああ、いつかお母さんが死んだら、私はみたらし団子を見るたびにお母さんを思い出すんだろうな」と思った。
そのとおりになってしまったが、覚悟しておいてよかった。
みたらし団子を食べるたびに、母にも分けてあげる気持ちになれる-
よしもとばなな 『おだんご』
つつましい百姓たちが、そこに住んでいて、
誰一人、彼らを訪れて来るものはない-この私よりほかには。
ジュール・ルナール 『猟期終る』
コーヒーの昔ながらの精製方法、よりも
彩り豊かな衣装、のほうに目が行く。
自然のなかを歩くと、結局のところ自分がどういう色に惹かれるのかというのがなんとなくわかる。
自分のなかの「色の呼び方」の語彙をもう少し増やしてもいいかも、なんて思った。
息子があの絵を飾りたいと言っている。
まだ自分の部屋も持っていないのに。
そろそろ時機なのかもしれない。