Lectio

ユトリロ

「白」といっても、いろいろな白がある。

思わず触れてみたくなるような白色もあれば、拝みたくなるような白色もある。

色そのものだけではなくて、質感みたいなものも表現のなかに含まれる。

藤田嗣治のトロンとした白もあったな。

Lectio

羊皮紙やパピルスに記された文字は死んだ記号でしかなく、それは声を得てはじめて生きた言葉となる。

-それにしても、音読が常態であったとするなら、あの伝説的なアレクサンドリアの図書館も、今日想像されるように、荘重な静けさが支配する場であったとは考えにくい。

無数の声の織りなす、どよめくがごときざわめきに包まれていたのだろう。

音読とは、言語に対するこの時代の人々の意識のあり様に深く根ざしたものだった-

鶴ヶ谷 真一 『書を読んで羊を失う』

人類が失った古代の図書館。

かすかに、ささやくような読み方をする古代の人々。

Lectio

それらには美はなく「考え」ばかりがあります。

- 巨大なまがいもののルネッサンスやゴチックは如何です。少しも心から生れていません。「考え」からばかり生れています。

冷たくて、石は石のまま、否 (いな) 石は石よりも冷たく、かたくなに、牢屋の如くにつみ上げられています。

一体建築とか、都市の美とかいうものは「個性」が造るよりも、「民族」が造った時代の方が美くしいものが出来る。

質の芸術だという気がします-

岸田劉生 『アメリカ趣味とセセッション趣味を排す』

永い伝統によって蓄えられた民族の心の美が滲むところに美しい建築や都市は生まれる、と岸田劉生は言う。

練り上げられた独自の美意識。

かつてこの国にもあったもの。

残されたのは、こねまわされた、様式の屍 (しかばね) 。

ふむ。