
「白」といっても、いろいろな白がある。
思わず触れてみたくなるような白色もあれば、拝みたくなるような白色もある。
色そのものだけではなくて、質感みたいなものも表現のなかに含まれる。
藤田嗣治のトロンとした白もあったな。
「白」といっても、いろいろな白がある。
思わず触れてみたくなるような白色もあれば、拝みたくなるような白色もある。
色そのものだけではなくて、質感みたいなものも表現のなかに含まれる。
藤田嗣治のトロンとした白もあったな。
-それにしても、音読が常態であったとするなら、あの伝説的なアレクサンドリアの図書館も、今日想像されるように、荘重な静けさが支配する場であったとは考えにくい。
無数の声の織りなす、どよめくがごときざわめきに包まれていたのだろう。
音読とは、言語に対するこの時代の人々の意識のあり様に深く根ざしたものだった-
鶴ヶ谷 真一 『書を読んで羊を失う』
人類が失った古代の図書館。
かすかに、ささやくような読み方をする古代の人々。
- 巨大なまがいもののルネッサンスやゴチックは如何です。少しも心から生れていません。「考え」からばかり生れています。
冷たくて、石は石のまま、否 (いな) 石は石よりも冷たく、かたくなに、牢屋の如くにつみ上げられています。
一体建築とか、都市の美とかいうものは「個性」が造るよりも、「民族」が造った時代の方が美くしいものが出来る。
質の芸術だという気がします-
岸田劉生 『アメリカ趣味とセセッション趣味を排す』
永い伝統によって蓄えられた民族の心の美が滲むところに美しい建築や都市は生まれる、と岸田劉生は言う。
練り上げられた独自の美意識。
かつてこの国にもあったもの。
残されたのは、こねまわされた、様式の屍 (しかばね) 。
ふむ。
-人間は、「むかし」にもどることができません。
生きていると、「いま」はどんどんすぎて、つぎつぎと「むかし」になっていきます。
でも、だれかに「会いたい」という気持ちがあれば、「むかし」と「いま」はきっとつながる-
『いちばんのなかよしさん』
エリック・カール著、アーサー・ビナード訳
たとえば僕が今いちばん会いたいと願っている人とは、もう会うことはできない。
そうだとしても、まだ「つながる」ということはできるのだろうか。
そうだったらいいな、とは思うけれど
目の前のあれこれに忙殺されて、少しずつ少しずつ僕の中から大切な記憶や思い出が失われていくのが、この頃とても哀しい。
理由はわからないけれど、調子が下り坂になってくると無性に
彩り豊かなサラダや刺し身なんかが食べたくなる。
「先回り」とまではいかないまでも、取り返しのつかない所までいってしまう前に
自分なりのアラームを身体が出してくれてるんじゃないかな、なんて勝手に思っている。
そういえば、雪の降る前日には大抵、右手の薬指がうまく動かなくなる。
夏のギラギラとした太陽もキライじゃないけど、しんと冷えた冬の朝にカーテン越しに感じる穏やかな光のありがたさには負ける。
朝のいっとき、やわらかな陽の光を浴びるだけで、今日一日を楽しく過ごせそうな気持ちになる。
「そうだね、クジラかな」と咄嗟 (とっさ) に答えた。
そういう憧れがあるなんて自分でも知らずにいたけれど、もしも本当に鯨 (くじら) になれたとしたらそれは中々悪くない人生だな、なんて思ったりした。
-みんなは たがいの かおを みるばかり。
だれも手をあげませんでした。
そう、だからね、いまでも ネコは、
ネズミを おいかけているのです-
『エリック・カールのイソップものがたり』
-ゆるい坂を おりてゆけば
夏色の風に あえるかしら
おそい午後を 行き交うひと
夏色の夢を はこぶかしら
夕陽のなか 呼んでみたら
やさしいあなたに 逢えるかしら-
生まれ育った地を離れ、初めて移り住んだ街を見た父が「世の中にはこんなに平坦な土地があるんだ」と思ったという話を小さな頃に聞かされて、それから長い間印象に残っていた。
その言葉の意味がわかったのはずっと後になってからだけど、
若い頃の父が立った坂の向こうには何が見えたのだろう。
-元来人間の智慧は未来の事まで見透すことができないから、
過去のことを書いた歴史といふものにかんがみて将来をも推測せうといふのだが、
しかるところこの肝腎の歴史が容易に信用せられないとは、実に困った次第ではないか。
見なさい、幕府が倒れてから僅かに三十年しか経たないのに、
この幕末の歴史をすら完全に伝へるものが一人もない-
勝 海舟 『氷川清話』