-明日はみんな死んでます
ロバは飢えで
王様は退屈で
そして私は恋で
時は五月
人生はさくらんぼ
死はその種
そして恋は さくらの木-
高畑勲展で掛かっていてずっと気になっていた作品。
今の時代のこの国に生まれ育った自分が絶対的な権力者による支配というものを本当の意味で理解するのは難しい。
けれど、人間が暴力を伴わずに淡々と消されていく世界というのは何かしら今の現実の世界に通ずるものがある。
-明日はみんな死んでます
ロバは飢えで
王様は退屈で
そして私は恋で
時は五月
人生はさくらんぼ
死はその種
そして恋は さくらの木-
高畑勲展で掛かっていてずっと気になっていた作品。
今の時代のこの国に生まれ育った自分が絶対的な権力者による支配というものを本当の意味で理解するのは難しい。
けれど、人間が暴力を伴わずに淡々と消されていく世界というのは何かしら今の現実の世界に通ずるものがある。
見送りに来るときは、いつもなぜか、中華が食べたくなる。
『あそびのじかん』展 つづき
学生時代に戻りたいなんて懐古趣味は持ち合わせていないけれど、学園祭はもう一度やりたい。
誰かのためにとかじゃなくて、自分たちのちょっとした自尊心のために何かを作れる時間というのは本当に限られている。
狭い空間に階段が見えると何となく登りたくなる↑
ハイになったのか、なぜかハイタッチしてるカップルなんかもいて、そういうのもいいななんて思ったり。
よく見てみると、ベースは同じ?
じっと見てると夢で逢いそう。
タノタイガ ≪タノニマス≫
以前はGoogleなんかで旅先について下調べする際、できるだけ画像を見ないようにしていた時期もある。
実際に訪れたときの感動を減殺してしまわないように。
でも、いつしかそんなものには殆ど意味がないことに気付き、以後は自然体でいることにした。
実際にこの目で見て感じるものは、ほぼ100%事前の想像を超えてくる。
視覚なのか、聴覚なのか、それとも嗅覚がそうさせているのか、メカニズムはわからないけれど、それだけ人間の五感は優れているし、その時々に応じた悦びを与えてくれる。
でも推理小説なんかだと、ネタバレは致命的だったりするのだろうか。
長く東京に住んでいながら今まで食べたことがなかった”深川めし”。
老舗の割烹ということで、当日1人でふらっと入るのはどうかと思いつつ、お店に電話してみると「構いませんよ」ということだったので訪ねてみた。
貝好きとしてはメインの”あさり”は外せないとして、刺身もやっぱり食べたい。
お店の方も皆さん気持ちのいい方々で、こういうお店で昼から一品料理を肴に一杯というのも良いんだろうなと思っていたら、向かいの席に3世代の家族連れが来て、楽しそうに呑み始めた。
祖父や父と来てみたかったなと思ったりした。
世の中にある無数のアレなんだろう、
コレなぁに、が少年の世界を拡げてくれる。
『あそびのじかん』にて
好きに積み上げていい、みたいな企画?
このくらいの年頃の少年がどんな言葉を選び、積み上げるのか、とても気になったけれど答えは見ないでおくことにした。
TOLTA / ポジティブな呪いのつみき
どうやら衣装ダンスの向こう側にも世界が続いているらしい (すぐ隣ではオジサン達が箪笥登りに興じている) 。
何だか「ナルニア国物語」みたいでいいなとニヤニヤ。
世代的には、ドラえもんが出入りするのび太君の勉強机の引き出しとかの方が好みだけれど。
MOT+ (東京都現代美術館) で開催中の”あそびのじかん” 、行ってきました。
さすが、家族連れが多い。
入る前からテンションが上がってる子たちも見掛けます。
さっき入口で一緒になった子もやっぱりアレには登りたくなるみたい。
子どもの後に見本を見せるとか何とか言いながらオトナが登るシーン多数。
僕も、ですが。